今 昭宏 (こん あきひろ) 仙台操体医学院代表

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    仙台操体医学院 今治療院 代表

1956年 山形県の小国町で生まれました。
  私が生まれた時、すでに姉が二人おりまして、
  私はみんなにかわいがられて育ちました。
  (今も少しかわいい)

   私は小学生の時、夏祭りの太鼓の音に魂が踊り、
  和太鼓に興味津々、少しやってみたことがありました。
 
小学校五年生の時、スキー大会で見事準優勝。
将来はプロスキーヤーも視野に入れてわくわく考えます。
(考えが甘かったことは次の日にわかりました)

中学生の時は魚釣りばかりして過ごしました。

でも高校ではなぜか甲子園を目指す高校球児、ピッチャーでした。
三年生最後の試合、惜しくも甲子園予選二回戦で敗退。
プロのスカウトは来ませんでした。(あたりまえだ)

高校を卒業して、私は小国町立病院で働きました。
レントゲンとリハビリテーションの仕事でした。

この頃からなんとなく私は医療の世界に引き込まれて
ゆく設定なのですが、
何を考えているのかミュージシャンを夢見て友達と
ロックバンドを結成しました。(そっちに行ったか~)

私はドラマーでした。
ヘタでしたが上手だと思って演奏していたんですね。
おもしろいですね楽しいですね。

22歳の時私が仙台の鍼灸学校に入ることになってバンドは解散。
あれからかれこれ40年、現在に至るわけです。

1981年 仙台赤門鍼灸柔整専門学校卒、鍼灸指圧師。
     赤門操体研究会在籍

1981年 三浦 寛先生より操体を学ぶ。
    
1983年 操体法の創案者、橋本敬三先生の温古堂診療室に勤務、
     橋本敬三先生の代診を務める。
    橋本敬三先生の直接指導(おしかり)を受け、約5年間過ごす。
    「温古堂ものがたり」参照

1987年 仙台にて操体医学研究所、今治療室開業
     操体法による治療、全国各地で操体法の講演を行う。
    操体法仙台定期講習会(月一回)を開始。

1993年 池上六朗先生創案の三軸修正法に出会い、三軸修正法と
     操体法をミックスした「三軸操体」を考案する。

    以後、皮膚の操体、骨の操体、圧痛操体、快高圧操体、
    と操体の応用実践研究と指導を行う。

2011年 震災の翌月、操体師(整体師)を養成する仙台操体医学院を設立。

2014年、杉本錬堂先生より天城流湯治法を教わる。
2015年、天城流湯治法指導者補となり、操体法と
     天城流湯治法の合作「天城流操体法」を研究。
2018年、天城流湯治法師範となる。



晩年の橋本敬三先生の想いを引き継いで、進化して変化することを恐れずに
操体を楽しくわかりやすく表現して伝えてゆきたいと思っています。

  人は、ほんの一歩を踏み出すことで、出会いが生まれ
  人生そのものが豊かで楽しいものになることがあります。

 
 

今 貴史 (こん たかし)仙台操体医学院講師

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1989年 宮城県仙台市で生まれる 今昭宏の長男
2009年頃、友人の家で遊んでいた日・・・
友人のお嫁さんが「腰が痛い~...」とつぶやいていました。

私はほんの少し操体法を知っていたので、効くか分からないけど
ためしにつま先上げ操法をやってみることにしました。


するとウソのように腰痛が解消してしまったのです。


友達のお嫁さんはビックリ仰天して、
「すごく楽になった!ありがとう!」と大喜びしてくれて
私も人の役に立てて喜んでもらうことができて感動しました。


私は「操体法を習いたい」というキモチを父に伝えました。

「それじゃあ、みんなが操体を学べる学校を作ってみようか」

やすらぎの杜整体院の上川名先生と
あらまき整体の古住先生にご協力いただき
仙台操体医学院という名前の学校を設立することが決まりました。

2010年 父・今昭宏先生に師事 
2011年 父と仙台操体医学院を設立 操体師・整体師となる
2011年 今治療院に勤務
2014年 今貴史の操体セミナーを開催
2014年 杉本錬堂先生より天城流医学を教わる
2015年 操体法と天城流医学の合作 天城流操体法を研究
2021年 天城流操体法IPはがし考案
2022年 全国各地で操体の講習会を行う
2023年 三軸操体冊子・操体医学冊子 監修 / 出版